入社1年で退社が決定
2017/10/02
1年で東京を去る
木野孔司先生の治療(詳しくは、1,2,3)で顎周りの筋肉の緊張は少しずつ緩和されていきました。
しかし、木野先生も仰る通り、真の原因が顎関節症ではなさそうなため、緩和されてきたのは、マウスピース(スプリント)をつけなくなった要因が大きいようです。
そして、体は相変わらず重く、鉛が入っているのではないかという程でした。
(うつ病の症状の1つとして体が重く感じることはよくある症状)
光がまぶしく感じたり、異常に汗をかいたりといった症状が続いていました。
仕事が出来る状態ではとてもありませんでした。
僕は、上司に相談しました。
「少しお時間をいただけないでしょうか」
個室で全てを話しました。
上司は優しく包み込んでくださいました。
「パフォーマンス(僕の)が落ちているのに、気づいてあげられなくて、ごめん」とまで仰ってくださいました。
すぐに上司の上司(部長)にその内容を伝え、部長と面談することとなりました。
部長も暖かく面白い方です。
僕の話を落ち着いて聞いてくださいました。
そして、「一度休職をしないか」という提案をくださいました。
2014年3月中旬から4月月末までの約1か月半です。
僕は1か月半で治るとは思いませんでしたが、「お願い致します」と休職することとなりました。
休職期間中は、実家でひたすら寝ていました。
見慣れた実家と街は、僕に落ち着きを与えてくれました。
こんなに故郷っていいものなんだなと、離れて初めて気づきました。
何も考えずにひたすら休みました。
家族は温かく迎えてくれました。
病気の事も書籍等で学んだらしく、理解をしてくれ、僕の部屋もそのまま残してくれていました。
しかし、完治はしませんでした。
退社が決定
4月の終わり、東京に戻り、会社に向かい、正式に退社することが決定しました。
最後まで僕を責めることなく、病気への理解を示してくださいました。
「お前ならまだやれる、応援しているぞ」
「心優しいお前が部下で本当に良かった」
「離れても俺たちは同期やで」と言葉をかけてくれた先輩・同期には心から感謝しました。
そして、改めて、人間味あふれる会社に出会えたことにも感謝しました。
そして、その会社を退社しなければならない自分を情けなく思いました。
頭がうまく回転せず、ぼんやりとした状態で、東京を去りました。
「さようなら、東京」と。