真矢ミキさんがうつ病を告白!│対人恐怖に摂食障害…あきらめないことの大切さ
2017/09/30
目次
実は落ち込みやすい性格だった真矢ミキさん
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
本日はBIGLOBEの記事「「軽い鬱でした…」生きる理由に疑問の真矢ミキ復活させた言葉」をご紹介します。
「あきらめないで!」のキャッチフレーズで有名な真矢みきさん。
力強くポジティブな印象ですが、実は落ち込みやすく繊細なようです。
真矢ミキさんが過去に軽いうつ状態だったことを告白しました。
米女優ジョディ・フォスター主演の映画『幸せの1ページ』(9月6日公開)の来日記者会見が18日(月)、都内のホテルで開催され、ゲストとして真矢みきがジョディに花束を贈呈した。
真矢は、宝塚をやめた後にうつ病のような状態になっていたことを告白しながらも、ジョディから「結婚おめでとう」と声をかけられると「私もワールドワイドになった。最高に幸せ」と笑顔をみせた。
真矢みきさんに何があったのでしょうか…
そのあたりを紐解いていきたいと思います。
本日もよろしくお願い致します。
真矢ミキとは?
真矢ミキ
1964年1月31日生まれ
元宝塚歌劇団花組トップスター。
広島市西区南観音町生まれ、大阪府豊中市育ち
大地真央への憧れから豊中市立第二中学校卒業後、1979年に宝塚音楽学校に入学
初舞台当初から注目を集め、歴代花組トップスターに勝るも劣らぬ個性派スターとしての道を歩む。
宝塚退団後に鳴り物入りで芸能界入りしたが、38歳のときに事務所から戦力外通告。
どん底を経験する。
知人からリクルートスーツを借り、自ら『踊る大捜査線』のオーディションを受けた。
そして、2003年、このオーディションを這い上がり、念願の芸能界復活を果たした。
宝塚歌劇団時代の同期の黒木や、後輩の天海祐希とともに各種好感度・理想像調査の上位の常連である
真矢ミキが一度芸能事務所をクビになっていたのは知らなかったです。
そして、そこから這い上がった努力と根性が凄い!
さすが真矢ミキさんですね。
何も才能がないと思っていた真矢ミキ
人が羨む栄華を極め、宝塚歌劇団のトップとなった真矢ミキさんですが、人知れず大きな悩みを抱えていました。
「日本では強い女性と思われていますが、学生時代は15回くらい転校していて極度の対人恐怖症でした」と切り出すと「宝塚を辞めた後は、私には何も才能がないと思い(家から出られず)ベッドが友達でした。
いま思うとうつ病だったのかもしれない」と告白。
父親の仕事の転勤で、15回も転校していたとは。
「くらい」と言っているので、本人も分からないぐらいたくさんしたんでしょう。
毎回初めての環境に適応するのは相当なストレスだったと思います。
(うつ治療に「環境調整」は必須~その理由と5つのやり方~)
特に小・中・高といえば、まだ子どもで精神も未熟です。
「いじめ」などもあり、人の輪に入るのは簡単ではありません。
(「会社つらい人逃げて来て」鎌倉市図書館のツイートを参考に)
対人恐怖症になるのも仕方なかったのもかもしれません。
対人恐怖症
人前で過度な不安や緊張を感じてしまう症状。
自分の話し方やしぐさ、表情が相手に不快感を与えてしまうんじゃないかと恐怖を覚え、人と会うのを避けるようになる傾向がある。
うつ病
うつ病については僕のサイトの2大テーマの1つ(うつ病と顎関節症)なので、「【まとめ】ぼくの鬱病の症状~こんな症状に苦しんでいました~」をご覧ください。
真矢ミキさんは、自分には才能がないと思い、家から出られなかったとのことですので、うつ状態かうつ病だった可能性は十分考えられます。
才能がないわけが全くないのに、自分には何もないと思ったりするのは、うつ状態、うつ病の症状の1つです。
(認知再構成法(コラム法)のやり方~あなたのその考えはほんとうに正しいのか?~)
色んな角度から物事を見ることが出来ず、(マイナスな)一方向からしか見ることができなくなってしまうのです。
摂食障害と燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)
最初は30才を過ぎたばかりのころ。
悩みが深すぎて食べるという行為が困難になりました。
ごはん粒を飲み込むことさえ難しくて、「液体や錠剤で栄養がとれて、体重が維持できる物を誰か発明してくれないか」と本気で思っていました。
日に日に減っていく体重が怖くて、顔を洗うたびに手のひらの中で小さくなっていく自分の顔が怖くてたまらなかった。
悩みの原因は語られていませんが、自分が対処しきれないストレスがくると、カラダやココロに異変が訪れます。
いわゆる自律神経失調症や不定愁訴と言われる症状です。
(不定愁訴は「症状」であって「病名」ではない。~「症状」の治療になってませんか?~)
摂食障害
極端な食べ過ぎ、食べなさすぎを引き起こす精神疾患の1つ。
過食症や拒食症といわれる。
人間関係や環境への不適応といった心理的ストレスが原因とされる。
(うつ、人間関係でお悩みの方へ~気にすることなく善を行いなさい~)
次は、宝塚を退団したあとです。
レッスンや稽古がない日々をどう過ごせばいいのか分からずに、今度は食べることがやめられなくなってしまいました。
15歳から30代まで20年間、宝塚でずっと積み上げてきたことをリセットするのは激震だったんです。
ただ単に「男役ができなくなった」とか、そういうことじゃない。
自分の世界が崩壊して、どんなふうに立っていれば倒れないのか、見当もつかない。
いわゆる燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)のような症状です。
自分のアイデンティティとしていた宝塚を去ると、何をしていいか分からず、目標がなくなって意欲が完全になくなってしまったように見えます。
宝塚歌劇団は厳しい世界です。
徹底的に練習し、完璧を求められます。
上下関係も厳しいと言われます。
そんな世界を離れると、何をしていいか分からなくなるのも不思議ではありません。
燃え尽き症候群(バーンアウト症候群)
夢や目標を持って全力で取り組んでいた人が、ケガや引退などで満足した結果が得られなかったり、そのものを失ってしまったことで起きる脱力感や挫折感、無気力感をいう。
オリンピックや部活動の引退、受験の終了などで訪れることが多い。
ありのままの真矢ミキではなく、宝塚の真矢ミキが愛されていただけ
宝塚時代の私は、ものすごく愛されていたけど、でもそれは生身の私自身をじゃなくて、舞台上で男役を演じている私の一部分だけを愛してくれていたんじゃないか。
私が宝塚という化粧や衣装を取り去った途端、誰もがそっぽを向いてしまったような気がして、どうしようもなかったんですよね。
そしたら…うつになっていたんですねぇ…。
宝塚は派手できらびやかな世界です。
トップスターなら、なおさらでしょう。
多くの人が群がってきます。
もてはやします。
しかしそれは、「宝塚」の真矢ミキであって、「生身の」真矢ミキを愛していたのではないと感じたようです。
僕はスターでも何でもありませんが、なんか分かる気がします。
(青年Aとは?)
信頼していた人に裏切られたり、自分の相手をしてくれなくなったりしたのでしょう。
悩みの多くは人間関係から生まれています。
その苦しみは並大抵ではなかったはずです。
真矢ミキを苦しみから救った友人の言葉
苦しみの原因は人間関係ですが、そこから救ってくれるのも人間です。
真矢ミキさんは友人の一言で復活を決意したようです。
あるとき友人に、「私さ、なんで生きてるのかわかんなくなった」と言ってしまいました。
そしたら彼女がこう言ったんです。
「じゃ、とりあえず私はあなたが必要だから生きててよ」って。
軽い調子で。
このひと言は、まるでカビのように負の感情が繁殖していた私の心をパンパン!と払ってくれました。
生きてるだけで誰かのためになっているんです。
必要とされているんです。
絶対に死んではいけません。
(「うつの自殺は絶対あかん」~してはいけない4つの理由~)
よし、生きよう。
まずは人に会って話をしよう。
人に好かれることより、自分が人を好きになろう。
たくさんのいろんな立場や職業の人と会って、話して、
やっと人としての入口に立てたような気がしたのを昨日のことのように思い出します。
ボコボコに頭をぶつけてやっと今にたどり着いたけれど、だからこそあの時代のことはこう言いたい。
「わたくし、真矢ミキ、軽くうつでした!」
人生山あり谷ありです。
人生塞翁が馬です。
(うつの人にかける言葉~人間万事塞翁が馬~)
治療をしたのかどうかは語られていませんが、言葉の力は強力です。
(うつ治療まとめ)
友人からのプラスの言葉がきっかけで立ち直り、いまや芸能界で大活躍ですね!
好感度も抜群です。
おわりに
絶望を乗り越えると人は強くなります。
真矢ミキさんのマネジャーはこう言っています。
「真矢さんはメンタルの回復力が半端ないですね。
落ち込んだ所からV字で這い上がってくる。
今まで数々のかたを見てきましたが、1位、2位を争う感じだと。いゃ〜! 自分は思います」
必ず良くなります。
やまない雨はありません。
(やまない雨はない(倉嶋 厚)~うつ病は必ず治る、降りやまない雨はない~)
うつ病で諦めてはいけません。
根性出して戦っていきましょう。
本日もありがとうございました。
青年A