『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』(阪口裕樹)
2017/10/18
目次
64万人に生きる希望を与えた感動の実話
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
今回ご紹介する本は、『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』です。
どんな本かというと、23歳でうつ病にかかって寝たきりだった阪口さんが、生きる意味を問い直し、生き方を見つめ直した実話のストーリーです。
本書の流れをより具体的に説明すると、次のようになります。
うつ病にかかる→組織にとらわれない生活を考える(起業)→猛烈に勉強と作業をくり返す(アフィリエイト)→自由になる
本日もよろしくお願い致します。
恥ずかしくていえないことを包み隠さず話してくれた阪口裕樹さんに感謝(しかも実名で)
僕もうつ病にかかりましたが、実名では恥ずかしくて言えないので、「青年A」というニックネームでウェブサイトを更新しています。
穴があったら入りたいくらい情けなくて恥ずかしいことでも、実名じゃなかったらお話できます。
そしてそういう赤裸々な告白がうつ患者の役に立つと信じてサイトの更新を続けています。
しかし、阪口裕樹さんは、実名でありのままを語ってくれています。
ほんとは言いたくないようなこともずっしり詰まっています。
そしてその多くが、うつ患者に共通・共感するものなのです。
だからこそ、64万人以上の人々に勇気と感動を与えられるんだと思います。
「あなたのこと、もう、好きではなくなっていたの」
彼女は声を絞りだすように、呻きながら呟いた。
ああ、俺は一体、何のために帰ってきたのだろう……。
僕は声にならない叫びを上げて彼女の背を押し、そのまま玄関のドアの外に押し出した。
彼女は泣いていた。僕は鍵をかけて、ベッドに戻り、布団に額をこすりつけて絶叫した。
絶望感の総量に堪えきれず、僕は気絶した。
「アフィリエイトはすぐに成果が出ない」と、誰もが口を揃えていっている。
それでも、自分の全ての力、すべての時間、すべてを投げ出してぶつかっているのにーー
ゼロ円の数字が画面に並ぶのは耐えられないことだった。
そのゼロ円が、自分の実力を如実に示していた。
そのゼロ円に、自分のすべてを否定されているような気がした。
稼げない。
稼げない。
稼げない。
飯が、喰いたい。
一日500円の食費では、満足に暮らすことはできない。
自分の無力さ、稼げないことの情けなさと劣等感、惨めさーーある日、街を歩いていたとき、その感情が爆発した。
何をしてるんだ俺は、何をしてきたんだ俺は、なぜこんな風になっているのだ俺は!
二十四年間も生きてきて、自分ひとりの生活費を稼ぐ力も身につけていなかったのか?
一日中ただビジネスのことだけを考えて、それも、ただ自分ひとりが朝昼晩食えるようになるだけの収入をまずは夢見て、そんな些細なことを夢見て仕事に当たっているのに、それすらも叶える力がないのか、お前は……!
「本気を出したら自分はなんでもできる」と思っていた。
自分にはなにか特別な力があると。
自分は他の人とは違うのだと。
それがどうだ。
お前はあんなにも馬鹿にしてきた「普通」の生活さえ、まともに掴めていないじゃないか。
あんなにも「つまらない」と唾棄していた、ただ給料を稼ぐだけの毎日すら、満足に達成することができていないじゃないか。
これだけ自分のすべてをなげうっているのに、何も何も何も何もたった一つの何かも達成できてやいないではないか!
なにが「世界を飛び回る力をつける」だ。
なにが「出国する力をつける」だ。
今自分がいるこの立場をよく見てみろよ。
今自分の手元にはあのワンカップを買う金はあるか?
酒を飲んで笑い合う仲間はいるか?
なに一つない。
俺は世の中の誰よりもずっと低い位置に落ち込んでしまったのだ。
そしてこのまま自分の人生が終わる可能性は十分あるのだ……。
僕がうつ病の頃に感じたことと”そっくり”です。
(【闘病記】うつ病と顎関節症)
うつ症状のせいで、
「何も考えられない」
「体が重たすぎてベッドから出られない」
「無職」
「お金がない」
という状況で、落ちるところまで落ちたと絶望していました。
(うつ病の症状の1つとして体が重く感じることはよくある症状)
そして、そのような悩みを”誰にも言えずに”いました。
ひとりで苦しんで、ひとりでふさぎこんでいました。
そういう悩みを代弁してくれてるのがこの本だな~と感じました。
あの時の想いを思いだして涙が止まりません。
(やまない雨はない(倉嶋 厚)~うつ病は必ず治る、降りやまない雨はない~)
『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』の一部抜粋
ストーリー形式なので抜粋が難しかったのですが、読者の方に内容を感じていただきたかったので、抜粋しました。
阪口裕樹さんのありのままが書かれています。
【はじめに】
三年前、うつ病で寝たきりになったとき、僕はもう二度と社会と交われないと思っていた。
お金になるような資格や技術はない。
仕事に繋がるような人脈もない。
人と接するような仕事も怖くてできなくなった。
でも、思い返せば、うつ病になったからこそ、今のライフスタイルを叶えることができた。
企業や組織に頼らなくても、時間や場所にとらわれない、自由な働き方は叶えることができる。
うつ病になって社会から逃げ、周りの人から逃げ、ひとりぼっちになってしまった僕が、どうやって「世界を自由に飛び回る力」をつけたのか。
ここに至るまでの記録が、少しでも誰かの背中を押せたら嬉しい。
【千葉の実家で寝たきりの日々】
机の上には、一ヶ月かけて集めた、大小さまざまな精神剤・睡眠薬が山を作っていた。
その山を見下ろしながら僕は、ブログに「遺書」を書いていた。
口先ばかりで、何一つ成し遂げられなかった自分の弱さが、僕は許せなかった。
僕は指先で、薬をじゃらじゃらと撫でると、おもむろにそれを掴みとり、口いっぱいに頬張る。
世界が白濁して、裏返った。
裏返ったのは自分であることに気づかず、僕は意識を失った。
【きっかけを探す。】
夏が過ぎると少しずつ身体が動くようになり、夕方気温が下がってから、外を出歩くことができるようになった。
相変わらず身体は重くだるかったが、意識の方はハッキリして少しは物を考えられるようになった。
利根川の河川敷の、土を固めただけのすすき野原に囲まれた小道を抜けると、古ぼけた桟橋に出る。
そこが僕の見つけたお気に入りの場所だった。
「釣り、してもいいかい?」
おっちゃんは、トランクを開けて釣り道具を持ち始める。
僕の隣に胡座をかいて、慣れた手際で釣り道具のセットをはじめた。
おっちゃんの名前は”伊波さん”といった。
「どんなお仕事なんです?」
「石油会社だよ」
「石油会社…というと?」
「〇〇石油ってところ。知ってるかな?」
知ってるも何も、その社名を冠したガソリンスタンドなら、その辺にいくらでも見つけることができる。
大手の石油会社の名前だった。
「なんだか自由な感じですね。重役みたいじゃないですか。」
「重役か‥‥まあ、そうだね。会社にいると、社長になれなれうるさいからなあ、こうして逃げまわってるんさ」
「いまは取締役にしてもらってるけど、こうして釣りしてるほうが気楽でいいんさ」
「お兄さんは学生?」
僕は苦笑いをしながら「今は休職中なんです」と正直に言う。
「五月までは働いていたんですが、うつ病で辞めてしまいまして‥まだ休んでいるところです」
「そうか、うつはつらいよなあ。今はいくつ?」
「二十三です」
「若いなあ。難儀だなあ。そうかそうか」
伊波さんは、しみじみと言葉を噛み締めながら言った。
「俺もうつはやったけど、たまらんかったなあ。二年間、動けなかったぜ」
「二年間…ですか?」
淡々としたその言葉にぞっとした。
僕がうつになって四カ月経っていたが、それが二年に引き延ばされたらと思うとー想像したくない。
「伊波さんは、どうしてうつ病になったんですか?」と僕は聞いてみた。
「二年間も動けなくなるのは…僕にはとても想像できません。そんなに仕事が忙しかったんですか?」
伊波さんは黙って首を横にふった。そしていつもの調子で、淡々と言った。
「奥さんが亡くなったんさ」
時が、止まった。
「俺が二十三歳のときに出会った人でな…綺麗な人だったんさあ。大好きだった…一目惚れだったなあ」
伊波さんはこちらを見ずに、じっと浮きを見つめていた。瞳の色が薄くなる。
そこに、涸れ果てた涙の跡が見える気がした。
「白血病だったんさ」
「だんだんな、大好きな人が弱っていくんよ。
それをな、もう見ていることしかできないさ。
いくらお金があっても、どうにもならないものはならない」
「奥さんが死んでからな、もう何も考えられなくなったんさ。
なんであいつなんだ、なんで俺を殺さなかったんだって…なんど神様を呪ったかわからん」
「もう動けなくなってしまってな。仕事は休職させてもらった。
蓄えもあったし、会社からの手当もあったから、子どもは三人大学に行かせたけれど…もう無気力になってな。
身体にも心にも何も力が入らないんさ。
何度死のうと思ったかわからん。こんな人生は無意味だってなあ。
でも、子どももいたし、結局死にきれんでなあ。そこから立ち直るのに、二年かかったんさ」
【男が人生の方向に迷ったら】
「僕は自分の方向性がわからないんです」
伊波さんと別れる前に、どうしても聞いておかなければならないことがあった。
「大好きな人もいました。夢もありました。
でも‥それを失った今、何を支えに生きていけばいいのかわからないんです。
医者には『とりあえず今は休みなさい』と言われています。
でも、十分に休んで元気になったあとで何をすればいいのか、何を目的に生きていけばいいのか、わからないんです」
情けない告白を、しかし伊波さんは笑うようなことはしなかった。
いつものような淡々とした口調で、しかし力強く、逡巡する間もなく即答した。
「仕事をすることさ」
「仕事を…ですか」
「そう。仕事をすること。どんな仕事であってもいい。
正社員じゃなくても、コンビニやガソリンスタンドの店員でもいい。どんな職業や職種であってもいいから働くことさ」
「働かないのは駄目ですか」
「駄目だな。それじゃあ何も見つからない。
どんなことでもいいから社会と繋がっておくことが大事なんさ。
繋がりがなくなったら、本当に何も考えられなくなる」
その言葉は痛いほど心に染みた。
「僕はいま、働くことがすごく怖いと思ってます」
「そうか、そうだろうな。…でも、それでも働かなくちゃいけない。
男はな、働いていないと何も見つけることも、何を手に入れることもできないんさ。
今すぐ、とは言わない、でも仕事をしなさい。それ以外に救われる道はないよ」
もう一度、仕事をしよう、と僕は決めた。
しかし、普通に企業で働いても、同じようにまた壊れるだけだ。
それでも働くならばーーもう、ひとりで起業するしか道がない。
【「理想」から仕事を逆算する。】
自分の能力から仕事を探すのではなく、自分が理想とするライフスタイルをまず思い描く。
そして、そのライフスタイルが叶えられる仕事を逆算して考える、という仕事の選び方だ。
うつ病で長い間寝て過ごし、その後、車中泊でふらふら旅をしていた僕には、社会に通用するようなどんな能力もなかった。
そんな風に、毎日図書館や本屋に通って仕事を探しては、ライフスタイルと照らし合わせていく作業が続いた。
一カ月ほどそんな毎日を続けた結果、自分が理想とするライフスタイルを叶えられるであろう仕事を「三つ」見つけることができた。
・株
・FX
・アフィリエイト
アフィリエイト以外の選択肢は自分にはない。
僕は、この仕事をやることにした。
<阪口裕樹>
1987年、横浜生まれ、千葉県育ち。
立教大学社会学部卒業。
「自由な人を増やす」をテーマに活動するパワートラベラー。
大学4年生のとき、東南アジアを周遊するバックパッカーを経験。
「ただ旅をしていても、お金も将来の心配も消えない。本当に自由になるには経済的自立が必要」と気がつき、旅をしながら資金を稼ぐ”パワートラベラー”というライフスタイルを構想する。
23歳の時、世界中どこでもPCでできる仕事としてアフィリエイトを選択。
会社を辞め、報酬0円の状態で独立。
大阪あいりん地区を拠点としながら8ヵ月間かけてWEBマーケティングやサイト作成の技術を学び、自由な働き方を叶える力を身に付ける。
2012年7月に出国。バンコク、チェンマイ、ハノイ、ヴィエンチャン他東南アジアを中心に、現地のアパートを借り、語学学校に通いながら仕事をする滞在型の旅を実践。
2013年からはヨーロッパに渡り、イタリア、フランス、スペイン、ポルトガルにて仕事を継続する。
『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』(阪口裕樹)を読んだ人の感想
一部を抜粋してご紹介します。
【自由を取り戻すきっかけになる本!】
社会に出て、企業に勤めて何年かすると、学生の時に抱いていた夢や希望が徐々に薄れていく事って、良く聞きますが、私もその一人でした。
日々の仕事に追われ、休日は体を休めるのに手一杯で、夢を進めようにも、何から手を付けたら良いのか分からない状況が続き、いつの間にか何年か経ってしまっている。。。
やばい、いつの間にかこんなに年を取ってしまったと後悔はするけど、今の仕事を続けていかないと、生活していくことが出来ない。
自分の夢をあきらめずに、実直に一歩一歩、歩んできたその道のりは、けっして平坦な道のりではなかったけれど、あきらめずに、あきらめずに、最後は自分の夢を、自分の力で勝ち取る姿には、多くの人に希望を与えることになると思います。
自分の人生はまだ終わっていない、これから再スタートできるんだ!と勇気付けてくれる本です。
【どん底まで行かないと落ちていない言葉がある】
同い年で、世界を旅しながら仕事をしている阪口さんの本が発売。
Story.jpでこの方のことを知り、発売を楽しみにしていました。
ジュンク堂は売り切れてたので、紀伊国屋で早速ゲット。
うつ病、自殺未遂。「普通の会社勤め」ができなかった。
それは社会からの孤立を意味し、自分を無価値だと思っていた。
出口の見えなかったトンネルをついに抜けた今、どんな風に世界がみえますか?
カッコ悪くて、みっともない格好になっても生き続ければチャンスはあるんだと、改めて感じました。
オススメです。
【人生について考えさせられる一冊】
その辺のベストセラーより、よほど自己啓発向きなノンフィクション。良書でした。
私も○○のある人生を送る為に、色々と見つめ直そうと思います。
先にSTORYS.JPの記事を読んでいたのですが、単なる焼き直しでなく、しっかりとしたストーリーに仕上がっており、わくわく、ドキドキしながらページをめくりました。
人生について考えさせられる一冊です。
僕が思うこの本を読むメリット
うつが蔓延する日本では、本屋さんにうつの本があふれかえっています。
それほど求められている反面、中身が「う~ん」と首をかしげたくなるうつの本もあります。
しかし、この本は違います。
期待をはるかに超える感動と衝撃を与えてくれます。
それは、治療法を淡々と書いたタンパクな本ではなく、絶望とどん底をあるがままに描いた人間的な作品に仕上がっているからです。
本書『うつ病で半年間寝たきりだった僕が、PC一台で世界を自由に飛び回るようになった話』のページをめくることで、次のことが分かるでしょう。
・うつを克服した「考え方」「きっかけ」がわかる
・どのようにしてPC1台で生活費を稼いでいるかがわかる
・小説家を目指していただけに、惹き込まれる文章力にうっとりさせられる
・「人との出会いの大切さ」がわかる
・企業や組織に縛られずに生きることが可能だとわかる
何回でも読み返したくなる良書です、ほんと。
おわりに~人生はいつでもやり直しできる~
僕もうつ病にかかって何も出来なくなった時、死を考えました。
阪口裕樹さんとおんなじです。
これで人生は終わりだと思ったのです。
(「うつの自殺は絶対あかん」~してはいけない4つの理由~)
ゲームオーバーになったような感覚です。
社会からの疎外感を激しく感じました。
浪人を経験したものの、小学校ー中学校ー高校ー大学ー社会人と、よくある人生のレールを僕は歩んできました。
それを大きく踏み外したのです。会社を1年で辞めた時に。
すぐに他の会社に転職したり、起業して夢を追っていれば、話は別なのでしょうが、僕は「うつ病」で辞めました。
うつ症状の1つである「将来の悲観」と初めて社会のレールを踏み外した現実世界の悲観があいまって、もう生きていけないと思っていました。
しかし、結果は違いました。
人生はいつでもやり直しがきくのです。
会社を辞めたり、うつ病になったとしても、実は自分の考え方、きっかけ次第でいくらでもプラスに変えていけるのです。
そのことに、あとから気づきました。
この本を読んだ頃とうつが寛解しかけた頃に、です。
(うつ病の寛解(完治)とはどういう状態の事か)
ですから、諦めてはいけません。
うつは治る病気なのですから。
(『うつにサヨナラ―「ふさぐこころ」の治し方』(濱田秀伯):うつの本を1000冊読んだ僕が一番オススメする本です)
長い目でうつを見守って治療に励んでいけたらと思います。
本日もありがとうございました。