音無美紀子さん…乳がんとうつ病を乗り越えて│波乱万丈な人生と希望の大切さ
2017/10/04
目次
死ぬこと以上の苦しさはない
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
今日は、アストラゼネカ株式会社『がんになっても』に掲載された『乳がんとうつ病を乗り越えて』 の僕なりの意見を書いていきます。
大好きな人と結婚し子どもに恵まれ、女優として栄華を極めていた音無さんに突如訪れた悲劇…
そこからどう乗り越えたのかをお話していきたと思います。
本日もよろしくお願い致します。
音無美紀子さんとは?
音無美紀子さんのプロフィールを簡単にお伝えします。
音無美紀子
生まれ:東京
誕生日:1949年12月26日
職業:女優
経歴:TBS のテレビ小説『お登勢』のヒロイン役で一躍脚光を浴び、人気女優になる。
NHK 大河ドラマ『おんな太閤記』、マドンナ役の『男はつら いよ 寅次郎紙風船』、映画『その男、凶暴につき』など、数多くのテレビや映画に出演。
しかし38歳の時に乳がんを患い全摘。
その後うつ病にも悩まされる。
生きる意欲を無くして死にたいと思うようになる。
そこから回復し、どん底にいる時に支えてくれた家族、そして健康の大切さを知る。
音無美紀子、中学の時に宝塚の舞台に魅了される
そういう中で中学二年生のとき、友達と初めて宝塚を観にいき、舞台の華やかさにいっぺんに目を奪われてしまいました。
学校でいやなことがあったり、テストの点数が悪くても、その舞台を観たらパアーッとすべてを忘れて幸せな気分になってしまって、こういうふうに観る人の心を動かし、感動を与える舞台の仕事につきたいと思ったのです。
とにかく高校へ行きなさいという親に従い、高校に入りましたが、私は我慢しきれず、児童劇団若草がたまたま新人を募集していて、学校に行きながらでも演技の勉強ができるというので、土日を利用して若草に通い、基礎勉強、訓練に励みました。
行動力が立派です。
諦めずに行動することの大切さを教えてくれています。
結婚し、長男が難病を患う
長男は本当に健康体で生まれてきましたし、すくすくと問題なく育っていましたので、思いもかけなかった事態でした。
脳波に異常があるということでした。
ひと月ぐらい入院したのですが、難しい病気だと言われたんです。
しかしその後元気になります。
乳がんの告知…絶望の始まり
遅ればせながら紹介状をいただいていた病院に行き、レントゲン撮影などの検査を受け、乳がんとわかったのです。
夫にどう話そうかと思い悩むと玄関に足を踏み入れる勇気が萎えて、家の前の道を何度も往ったり来たりしたのでした。
仕事も順調でこれから頑張るぞ!と意気込んでいた矢先の出来事だったようです。
まさに天国から地獄に突き落とされた感覚だったでしょう。
頭の中が真っ白になりました。
仕事が先々まで決まっていたところに、先生からいきなり「手術後三週間は退院できません、仕事のほうは大丈夫ですか」と聞かれて、「そんなの無理です」と、ぶっきらぼうな言葉が飛び出すのをやっと止めた思いでした。
思い千々に乱れるという表現がぴったりです。
やはり、当時、がんは死の病だと思われていたことが背景にありました。
どうしよう、どうしようと気が焦る。
子供の幼稚園への送り迎えは、食事の支度は、夫の公演も気がかりだし、自分の撮影予定も既に入っている。
何よりも、家の中が暗くなるのでは・・・。
思いは次から次へとめぐる。
がんへの恐怖にさいなまれる一方、それにおびえている暇もない現実との狭間で、激しい葛藤に打ちひしがれる自分の姿が、今でも目に浮かびます。
絶望とはこの事です。
パニックです。
先が真っ暗で見通せない状態。
自分1人の問題ではなく、ちいさなお子さんの事を考えたら、胸が引き裂かれる思いだったでしょう。
これから自分はどうなるんだと焦り、不安になり、死を想像してしまうのです。
うつ病を発症…死にたくてたまらなくなる
悪いことは重なるといいますが、がんにうつ病…想像しがたい苦しみだったでしょう。
家に帰ってみたら、子供と一緒にお風呂に入れないとか、腕を上げて髪の毛をセットしようとしても、痛みや違和感に我慢しながらということになり、「自分で髪の毛もセットできないんだわ」との思いに襲われる。
薬も毎日飲まねばならない。
「こんなはずではなかった、普通の人と変わらないで帰ってきたはずなのに、やっぱり病人なんだって・・・」。
プラス思考で通していた病院生活から、だんだんマイナス思考に取り囲まれた日常となり、不安のほうが大きくなっていきました。
今まで普通に出来ていたことができなくなる恐怖…うつ病の人も同じ経験をしたことがあるでしょう。
スポーツでケガをした場合も同じです。
「普通」のありがたさを痛感すると同時に、
「なぜできないんだ」
「いつになったらできるんだ」
「自分はもうできないんじゃないか」
といった焦りや不安に押しつぶされそうになります。
僕もずっと野球を続け、7年間うつ病を経験したからよく分かります。
(【闘病記】うつ病と顎関節症)
乳がんを隠したことが仇となる
自分が病気だったことは誰にも言っていません。
ドラマでの私の役柄は、60年安保をめぐる学生運動のリーダーという勇ましい女性でした。
私のつける衣装の話になり、監督は半袖シャツで、上から二つボタンをはずすというラフで活動的なイメージを求めました。
私はほんとうに困りました。
リンパ節を含む全摘手術で、左胸は筋肉まで含めて大きくえぐり取られていましたから、襟元を開けば傷痕がまる見えですね。
加えて、もう一つの事情がありました。
これも私の退院後のマイナス思考に陥る要因のひとつでしたが、予後措置として抗がん剤の注射を腕に受けました。
元々、私は注射にはナーバスで、消極的だったところへ、それがうまくゆかず、液が皮下に漏れて石榴(ざくろ)色の大きな変色斑点ができてしまいました。
「そんなに腕を出すのが嫌なのか」と監督の言葉も吐き捨てるような調子に変わりました。
出だしの衣装合わせですんなり意見が合わないという事態で、私はパニック状態に陥り、心臓はパクパク、頭はガンガン、呼吸すらうまくできないような始末となりました。
マイナス思考で気持ちが沈み込む中で、食欲不振や不眠、また家から一歩も外に出られないとか、ベッドから起き上がれないなどの症状に襲われるようになりました。
うつ病になると極度のマイナス思考に襲われます。
健康な人もマイナス思考になりますが、正常なら数日すると元の感情に戻ります。
しかし、うつ病になると、ずーっとマイナス思考なのです。
(木の実ナナ うつ病でバス見ただけでイラついたことも~意味のないイライラはうつの症状です。あなた本来の思考ではありません~)
本当に苦しいものです。
気分の持ちようで変えられるものではありません。
脳内の異常がそうさせているのです。
(うつはこころの病気というよりカラダの病気だと思う)
「しんどい」
「つらい」
「死にたい」
そういった感情に24時間襲われるのです。
これほど恐ろしい病気はありません。
ココロだけでなくカラダにも症状が現れます。
人によって症状は様々ですが、代表的なのが、
「不眠」
(うつの不眠を改善させる4つの方法:安心してください、ねむれます!)
と
「体が重い」
(うつ病の症状の1つとして体が重く感じることはよくある症状)
という症状です。
「うつ」がひどくなる
そのまま本読み、リハーサルに入ったのですが、字が目に入ってこなくて、しゃべれないんです。
翌日でしたか、ロケーションに出発という状況になって、「ああ、やっぱり私はできないんだ」と思い知らされ、ドタキャン同様にドラマを降りました。
これで女優生命も絶たれた、と真底思いました。
私は母親としても、女としても、女優としても、もう必要とされない人間になってしまった、と絶望のとりこになりました。
病気の症状は、悪化する一方でした。
子供の弁当に何を作ったらいいのか分からない。
スーパーに行ってもかごに何一つ商品は入らず、何も買わないで帰って来てしまうという有様でした。
要するに、自分の意識も体も混沌の世界を浮遊した、という表現がぴったりだと思います。
もう、死ぬことばかり考えていた、と言っても決して大袈裟ではありません。
ネガティブなことしか考えられなくなり…いや、うつ病が進むと、ネガティブなことすら感じなくなります。
なにも、感じないのです。
楽しいとか苦しいとか…そんな感情、どうやったら沸くのか分からなくなるのです。
うつ病特有の症状です。
そして、死にたくなります。
(「うつの自殺は絶対あかん」~してはいけない4つの理由~)
自分の対応できるストレスを逸脱したものが来たとき、耐えきれなくなってうつ病を発症すると言われています。
二階の踊り場に立てば、「ここでは死ねないだろうな」と思い、電車が下に走る陸橋に立てば、「誰かが軽くポンと背中を押してくれれば、確実に死ねるだろう」などと考える日々でした。
娘の一言が立ち直るきっかけに
娘が突然、「ママ、どうして笑わないの」と切り出しました。
友達のママはいっつも笑っていて、すごく楽しく、可愛い、と言うのでした。
私は電気ショックにかかったような気分に襲われました。
「あ、そうだ、確かに私には笑いがない」。
わずか七年しか生きてない子供が、私のいつもの暗い表情を不思議に、悲しく感じとっていたのだ。
そう思うと、すごく子供が不憫でいとおしく思え、無理をしてでも笑わなきゃ、にこやかにしていなければ、と自分に言い聞かせました。
「親が子供に悲しみを与えてはいけない」。
「「笑う門には福来る」~笑いがもたらす4つの効果~」でも書いていますが、苦しいときに笑えるかどうかが大切です。
「苦しいときは苦しいんだから暗くて当然」と思うかもしれません。
その通りです。
しかし、そのままだとずっと暗いままです。
そこで気合を入れるのです。
苦しみはずっと続かないと。希望を持つと。
(やまない雨はない(倉嶋 厚)~うつ病は必ず治る、降りやまない雨はない~)
苦しい時こそ笑って前向きになれる戦略を考えるのです。
何事も「できない理由」と「できる理由」の両方があります。
どうすればこの状況を脱出できるのか…その「できる理由」を考えていくことが大事ですね。
笑顔をつくる、そして「動く」こと
ちょうどその頃、新居への引っ越しがありました。
「自分は死ぬのだから、新しい家には住めない」と決めてかかっていたのですが、新居が完成して引っ越しが現実のものとなれば、夫は忙しく、私が動くしかありません。
什器類の選定だ、荷物のまとめだなどと動いているうちに、次第に前向きの自分が戻ってくるのに気付きました。
この引っ越しを加えれば、立ち直りのきっかけは四つということになりましょうね。
苦しい時、辛いことがあったときこそ「動く」ことが大切です。
寝込みすぎてはいけません。
そのほうが一見楽なような気がしますが、いくらたってもネガティブな思考しか沸かないのです。
そうではなく、
「とりあえずジョギングする」
(うつ病の運動療法~うつの人に運動を強くオススメする4つの理由~)
「仕事に行く」
(うつ病からの回復は「家族」にかかってる│「うつ」と家族の接し方)
「趣味をする」
など、行動することが気分を変え、流れを変えるきっかけとなるのは、僕の経験からも言えることです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
こういう体験談を読むたびに、自分より苦しい思いをした人が他にいるんだな~と感じます。
うつ病でどん底の頃は、自分が世界で一番不幸な人間だと思っていました。
しかし、同じように苦しんでいる人がいるんです。
諦めてはいけません。
必ず良くなります。
本日もありがとうございました。