『心が雨漏りする日には』(中島らも)~曇りのち躁。上手な心の飼い慣らし方~
2017/10/05
目次
破天荒な天才、”中島 らも”の躁うつ物語(実話)
(ぼくの所有本)
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
本日ご紹介する本は、『心が雨漏りする日には (青春文庫)』です。
僕の『心が雨漏りする日には』と表紙が違うのは、おそらく僕のが古いためです。
(上の本が最新版です)
先に”中島らも”さんをご紹介します。
中島 らも
1952年4月3日生まれ。
兵庫県尼崎市出身の小説家、戯曲家、随筆家、俳優、コピーライター、広告プランナー、ミュージシャン。
自主的団体「全国まずいもの連盟」会長を務める。
<生い立ち>
開業歯科医をしていた父親の次男として生まれる。
小学生の頃から友人の遊びを断って偉人伝を読むような変わった子だった。
この息子にしてこの親父ありというべく、父親が躁うつ病で、突然、家の庭(大きくない)にスコップでプールを作ったり、侍のごとく、上半身裸で弓矢をしていたという。
<学生時代>
名門進学校の灘中学校(兵庫)に8位の成績で入学するも、自分が母親の言いなりの「お勉強ロボット」になっていると気づいて幻滅し、こじらせる。
灘中学ー灘高校在籍時代は、飲酒に薬物、バンド活動、深夜ラジオ、漫画投稿、自慰に没頭していたという。
浪人生活を経て(勉強はせず)、大阪芸術大学芸術学部放送学科に入学。
その時出会った長谷部美代子と結婚することに。
卒業まじかになっても就職活動はせず、見かねた叔父が印刷会社にコネ就職させた。
<印刷屋の営業マン時代>
社長が大酒飲みで接待費の大半を部下の飲み会に使うめちゃくちゃな人だった。
(らもが35歳でアルコール性肝炎になったのもこの影響だと後に語っている)
営業マンの仕事はクライアントに謝ることが半分くらいを占め、頭を2、3回丸めて、「中島君、何もそこまでしなくても」と言わせれば勝ちだと思うようになる。
しかし、27歳で印刷会社を退職。
原因は、社長のつきあい酒にうんざりしたことや、部長が「握りっ屁」をして、被害にあった女子社員が泣き出すのを目撃して「この会社は長くないな」と思ったから。
(数年後、この会社は倒産することに)
<失業中のヘルハウス生活>
「中島は暇らしい」というウワサを嗅ぎつけた仲間や外国人ヒッピーが中島の家にたまるようになり、酒、女、ドラッグ遊びの日々を送る。
彼らと毎日、睡眠薬でラリリ倒していた。
月に述べ101人の人間が泊まったこともあった。
<広告代理店に再就職、うつ病発症>
”正月の餅が買えない”ほど経済的に困窮し、知り合いのつてで「日広エージェンシー」に再就職することに。
想像を絶するほど仕事が暇で、社長とテレビで相撲を観たり、夏には高校野球を観たりした。
朝から日広エージェンシーに来て、高校野球を第一試合から第四試合まで全部観て帰る取引先の人間がいたりして、「この人の仕事はいったい何だろう」と思ったりした。
この暇すぎる生活は、らもにとって精神的苦痛の何物でもなかった。
入社して三カ月ほどがたって、神経が参り、うつ病を発症。
Y精神科を受診。
「あなたは立派なうつ病です」「でも安心してください。あのゲーテだってうつ病だったんです」と意味不明なことを言われ、とりあえず薬を処方された。
服用し、1週間くらいで回復した。
<中島らも事務所設立>
フリーとなって作家活動を本格化。
仕事はすべて引き受け、月に40本もエッセイを書くコピーライターになる。
電車の中で吹きだしてしまうくらい笑えることばかりを書くことにした。
また劇団も立ち上げ、お酒を自分のガソリン代わりに飲みまくって仕事をしていた。
ほどなくしてアルコール性肝炎で入院することに。
3人の人間に「お前は35歳で死ぬ」と宣言される。
1人は友人、1人は医者、そしてもう1人が占い師である。
<晩年>
その後、自分の病気がうつ病ではなく、躁うつ病であることが判明。
活発的になって高槻(大阪)で迷子になったり、奇行が続いて入退院をくり返した。
2004年7月、階段から転げ落ちて頭部を強打。
意識が戻ることなく52歳で帰らぬ人となった。
うつ病なんて、無縁だと思っていた
「朝起きて、会社に行くのがつらいことには、しばらく前から気づいていた」。
僕もそうでしたが、自分がまさかうつ病(または躁うつ病)になるとは思わなかったです。
僕は、高校生の時にうつ病を発症しましたが当時、うつ病なんて、病気の存在すら知りませんでした。
( 【闘病記】うつ病と顎関節症 」)
中島らもさんも「まさか自分がうつ病になるとは」と思ったようです。
「仕事が激務すぎてうつ病になる」ことや「人間関係につかれてうつ病になる」という話はよく耳にします。
しかし、「やる気はあるのにやることがなさすぎてうつ病になる」というパターンもあるのですね。
中島らもさんがそのパターンだったようです。
(「「病は気から」~うつ病になりやすい性格をアンインストールする~」)
うつ病は発症の要因も症状もひとりひとり様々だと言われますが、この本を読んで、まさにその通りだなと思いました。
(何もすることがなくてテレビ観戦ができるなんて、僕だとうらやましい)
らもさんはある日、会社を出て書類を届ける仕事があった。
しかし歩こうと思うが、フラーっとして歩けない。
気力もわいてこず、うつ病を疑ったようだ。
どうやら、昔から精神医学の本をよく読んでいたらしい(なんで?薬物とかしてたからかな?)。
だから迷わず、精神科を受診した。
最初に心療内科・精神科を受診する人は少なく、内科や整体なんかをこれでもかと通った後に、それでも治らず、心療内科・精神科を受診するというケースが多い。
(ドクターショッピングの日々~歯医者を中心に~)
僕もそれはそれは長い間、歯科医院に通いまくってマウスピースをはめて顎位の治療をしていた。
自分の体調不良は”歯の噛み合わせの悪さ”や”顎関節症”のせいだと思い込んでいたからだ。
(そんなものでは治らなかった。「高額なマウスピース、噛み合わせ治療はもうやめよう」)
しかし、らもさんは症状の軽いうちに精神科を受診し、薬を服用したから、1週間で回復できたのだと思う(のちに双極性障害(躁うつ病)を発症)。
「おれを励まさないでくれ」
家族にもうつ症状を打ち明けるのをためらう人がいるそうだが、おれの経験からすると、家族の協力があるとよりラクに過ごせる。
一時的には心配をかけたり負担を与えたりするかもしれないが、なに、借りを返すチャンスは必ず巡ってくる。
”借りを返すチャンスは必ず巡ってくる。”
この言葉には本当に救われた。
僕はうつ病で何もできなかった。
朝、仕事に行く母と妹を見送り、「おれは何をしているんだろう」「生きていても無価値だな」と、しきりに思った。
しかし、”借りを返すチャンスは必ず巡ってくる。”
実際、僕にも巡ってきた。
諦めないでほしい、それは”一時的な借り”なのだから。
対談:精神科医との「うつ」に関する時間無制限一本勝負も勉強になった
この『心が雨漏りする日には (青春文庫)』は、中島らもさんの生い立ちから、会社員生活、フリー生活、入院生活、心との付き合い方まで書かれた闘病体験記です。
しかし、最後に精神科医「芝 伸太郎」先生との「うつ」に関する対談も書かれていて為になった。
”芝 伸太郎”先生
1963年、兵庫県生まれ。
精神科医。
京都大学医学部卒業後、大阪赤十字病院勤務などに勤務。
多くの患者を診療するかたわら、精神疾患の解明に努めている。
主な著書に、『日本人という鬱病』『うつを生きる (ちくま新書)』などがある。
印象的なやり取りもたくさんありました。
あの、さっきのゲーテ云々というのは、こういうことじゃないでしょうか。
精神科の病気の中にはいろいろな種類がありますが、長い間、慢性的につきあっていかなければならないものもあります。
正直に言うと、うまくいかない場合もあるんです。
すると医者に負い目ができるんですね。
その負い目を解消するために、病気の中に創造性みたいなものを重ね合わせて、ある種の価値を見出していこうという気持ちになる場合があるんです。
たまたま見つかるんですね、精神科の薬は。
理論があって見つけられるわけではないんです。
たいてい他のことから見つかる。
例えば、ある患者さんに麻酔薬を使ったつもりだったのに、さっきまで激しかった幻覚妄想が消えたようだ。
これは幻覚妄想の軽減に使える。
だいたいがそうですよ。
確かに、うつというものにセロトニンとかアドレナリンが関係していることは間違いないだろうけど、決してそれだけではないと思います。
人間のうつとか躁とかが、そんなに局所論的に、ここの部位がおかしいとか、このレセプターがおかしいというだけでは説明できないと思いますね。
心に響く言葉がきっとある
僕は、双極性障害(躁うつ病)を経験したことはないですが、うつ病の人にも響く言葉やエピソードがたくさん込められています。
頑張りたいのは山々なのだ。
会社に行けないとか、歩けないとか、症状が出ている時点でもうポキッと折れてしまっているのだから、それ以上追い詰めないでほしい。
「頑張れ」と言われると、まだ頑張りが足りてないのかと情けなくなったり、腹立たしくなったりするのだ。
僕にも経験があります。
ぼくの為を想って言ってくれているのだろうけど、「まだ仕事はできないか?」「いつから仕事をするつもりだ」…
父さん、あの言葉はほんと辛かったよ。
うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけれど、予備知識があればそれは避けられる。
癌に比べればちゃちな病気だ。
君もかすんだ目で星空を見ろ。
そして叫べ。
「くたばれ、うつ病!」
さすが”中島らも”さんなわけで、くら~い躁うつ体験記ではなく、ユーモア、笑いにあふれるシーンも多々あります。
楽しく学びながら読んでいけますよ~
最近では「ファッションうつ病」なるものも存在する。
女の子がバーで茶髪をかき上げながら、「あたしって、うつの人なんですぅ」
自分がデリカシーに富んだ人間であることを印象づけようとしているのだ。…
アホや。
いっぺんおっちゃんがシャブいの一発射ったろか。
なかなかユニークで斬新な発想をします。
Amazonのレビュー
「らもさんらぶ」
・らもさんのソーウツエッセイ。
自分もソーウツなので、らもさんの躁エピソードが「躁だよね!」と大共感の嵐。
ご自身の奇行を笑いのネタに昇華するユーモアのセンスがハンパねえ。
まさに「こころだって、からだです。」
「心が雨漏りする前に」
・一つは家族について。一般的に家族に打明けるのをためらいがちだが、らも曰く、「一時的には心配をかけるかもしれないが、なに、借りを返すチャンスは必ず巡ってくる」そうだ。
このずうずうしい程の大胆さこそ、予防の第一歩のような気がするし、大胆な気持ちでいられるための信頼関係がなにより大切なのかもしれない。
もう一つは医者の一言。
らも曰く、「治るよ」と言われるのが何より安心感を与えるそうである。
一方で医師によると「治るよ」という言葉はケースバイケースのようなので、安易に言うべきではないらしいが、雨漏りしている人に安心感を与えることができたら、それはとても素敵なことだ。
「らもさんの言葉で心のつかえが取れた」
・「人間は無数にある選択肢の中で、自分が選べる選択肢だけを選んで人生を生きている。
選べない選択肢を選ぶことは絶対にないのである。」
きっかけになった出来事、躁うつ病になった意味。
私はそれを悔やみ、悩み、ずっと引きずっていました。
でも、私にはそれを避ける選択肢はなかったのです。
その時、その時、私は選べる選択肢を選んできただけだったのです。
わかったような気がしました。
そしてこの先も、私は選べる選択肢を選んで生きていくだけなんだ、と。
らもさんのこの言葉で、躁うつ病の本を何冊読んでも取れなかった心のつかえが取れた気がしました。
僕の読者さんに、この本をオススメして本日も終了とさせていただきます。
本日もありがとうございました。
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