『私のうつノート』(龍野 晋一郎)~ファイザー医学記事優秀賞!双極性障害サラリーマンに読んでほしい~
2017/11/16
新聞記者が心の病になった話
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
今回ご紹介する本は、『私のうつノート』です。
どんな本かというと、読売新聞の記者が心の病になった話です。
読売新聞の記者「龍野 晉一郎」さんが、読売新聞に連載したものをまとめた本です。
心の病とは、双極性Ⅱ型障害です(はじめはうつ病と診断された)。
(ただ、心の病という用語はあまり好きではなく、次の記事を書いていますので、ご覧ください。
(うつはこころの病気というよりカラダの病気だと思う))
2001年12月半ばのある夕方、私は初めて心療内科を訪れた。
埼玉県内の繁華街。
知り合いに会わないように周囲を警戒し、人通りが途切れた瞬間を狙って心療内科のある雑居ビルに飛び込んだ。
異常を感じ始めたのは、2001年秋。
当時、埼玉県内のニュースを担当するさいたま支局に勤務していた。
最初は鋭い頭痛など体の不調として現れ、メンタルの問題だとは思わなかった。
その後不安や焦燥感が高まり、ついには朝起きるのも困難になり、精神科で「うつ病」と診断された。
医師からは3カ月きちんと休養するように勧められた。
しかし4週間の自宅療養にとどめた。
長期間休むと、自分の病気のことが知れわたり、将来不利になると心配した。
このときは病気と向き合うことより、まだ仕事や進路のことを心配していた。
Ⅰ、体験編
Ⅱ、情報編
に分かれていて、闘病体験だけでなく、そこからどのように回復していったのかという具体的な対応策も書かれています。
(この点がよくある闘病体験とちがう良い点です)
こんな人に読んでほしい!
こんな人にぴったりの本です。
・サラリーマンでうつ病、双極性障害と闘っている方
・うつ病、双極性障害の人を支えるご家族の方
・心の病の人を支える会社の方
『私のうつノート』は、本人(龍野さん)が書いた部分だけでなく、奥さんや上司の方が書いた本音の部分も語られています。
いわゆる心の病(うつ病や双極性障害など)は、本人が最も苦しいのですが、それを取り巻く家族や会社の人もその対応に四苦八苦しています。
そういった意味で、心の病と闘っている本人だけでなく、
・うつ病、双極性障害の人を支えるご家族の方
・心の病の人を支える会社の方
にとってもタメになる書籍であることは間違いありません。
なぜなら、タメになることが書かれているからです。
妻の話「夫の薬を見つけた時は、とてもショックだった。
当初は、夫がうつ病だとは受け入れられなかった。
私には、病気というより、考え方の癖の表れであって、薬で治すものではないように見えた」
「休職しはじめたころ、幼稚園児の娘が春休みだったので、夫の実家に預かってもらった。
幼い娘をひとり遠方に預けるのは不安だったけれど、夫はひとときも目が離せなかった。
夫も『1人にしないでほしい』と言っていた」
「職場復帰に当たって、夫には『自分が成果をあげるとか、認めてもらうとかは二の次にして、今まで、いろんな人の厚意で病気の治療をさせてもらっているのだから、まわりの人のためになることをしたらいい。
ゆっくりでいいから、できることから、ひとつずつ、増やしていきましょう』」と話した。
会社の人の話
「龍野君を職場に迎えた時のことを振り返ると、今でも反省することがある。」
「後で体験記を読むと、当時はそう状態だったことが分かる。
しかし、職場で見ている限りそれほどとは見えなかった。
「仕事熱心なのか」「自己顕示欲が強い性格なのかな」くらいに感じていた。
周囲の受け止め方も同じだった」
「私が感じていることはなるべく包み隠さず話をする、君自身の感じと周りの私たちの受け取り方が同じかどうかを確かめていこう。
もし、隔たりがあった場合、お互いにどうギャップを埋めていくか、話し合いながらやっていこう」と話した。
彼は出社すると、前日に家で何があったとか、最近の調子をどう感じているかをよく話してくれた。
病気に苦しむ本人の体験と対処法、支える家族の対応と想い、会社の人とのやり取りが、リアルで頭にスーッと入ってくるストーリーになっています。
そして、本人も家族も会社の人も、多くの「失敗」をしながら、病気との付き合い方を学んでいってる点が共感できました。
以下『私のうつノート』の一部を抜粋してご紹介します。
『私のうつノート』
Ⅰ、体験編
私は龍野晋一郎。39歳。
読売新聞東京本社生活情報部で、暮らしにかかわる身近なニュースを取材している。
私はこの6年間、うつ病に悩まされてきた。
軽そう状態が続いた後には、気持ちが落ち込むうつ状態が訪れた。
年を追うごとに、軽そうとうつの振幅が大きくなった。
「いつになったら治るのか」。
不安や焦りが募った。
2006年4月に現在の生活情報部に異動したころ、4度目のうつ状態に入っていた私は、新たな病院を受診した。
そこで、「双極Ⅱ型障害」と診断された。
頭痛をこらえてどうにか支局に行くと、私は職場の仲間に笑顔を見せた。
支局長やデスクに対して、元気がないとか、調子が悪いとか、そういう姿を見せたくない、いや見られたくないという気持ちがあった。
支局生活5年目でそろそろ人事異動の時期でもあった。
これまで「使い減りしない」というタフさを、ずっとアピールしてきたつもりだった。
私は29歳の時、4年半勤めたNHKから転職し、1996年9月、読売新聞社に経験記者採用で入社した。
生え抜きの記者に比べ、中途採用の私は不利な立場にあると、ずっと思い続けていた。
「人一倍努力し、成果を上げなければ、本社にアピールできない」という思いがものすごく強かった。
このため、心の余裕がなく、妻やまだ幼い娘のことなど、そっちのけだった。
Ⅱ、情報編「心のかぜ」という表現は、だれもがうつ病にかかる可能性があり、また、治せる病気だという意味で、この10年ほど広く使われるようになった。
一方で、うつ病は軽い病気のようなイメージを与えた。
苦しんでいるのは自分だけじゃない!苦しみには終わりがある
そう思わせてくれる本です。
本書『私のうつノート』には、この連載に共感してくださった読者の人の体験談も紹介されています。
改めて、「うつ病、双極性障害(躁うつ病)で悩んでいる人って多いな~」と思いました。
以下アマゾンのレビューです。
【Amazonレビュー】
「砂の城を築いては崩れ落ちる不毛感と背中合わせで「双極性障害を生きる」ということ」
恐らく、日本では、この読売新聞の記者さんの生々しい闘病記の新聞連載まで、そもそもそうした「双極性障害を生きる」ということのリアルな現実が、お茶の間に届くということそのものがなかったのではないかと思う。
上ったり下ったりの泥沼のような生き様を読んだ時、この病気に苦しむ人たちや、ご家族等の関係者の深い共感を呼び起こし、「同じことで苦しんでいるのは自分(たち)だけではない」という連帯の輪をどれだけ広げたことだろうか。
「おすすめです。」
実際に発症してからの状況等、経験に基づいて記載されているので、同じ疾患と診断されたので色々と参考になりました。
おわりに
ファイザー医学記事優秀賞を受賞した作品です。
一度お読みされることをおすすめします。
本日もありがとうございました。
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