『私の「うつ病」体験記』(小川 宏)│伝説的名司会者でもうつ病になる
2017/11/15
目次
伝説の名司会者「小川宏」さんでもうつ病にかかった
こんにちは、青年A(@seinen1234)です。
本日は、フジテレビの名司会者「小川宏」さんの本「私の「うつ病」体験記」をご紹介します。
小川さんといえば、伝説的ワイドショー【小川宏ショー】を担当した名司会者で超売れっ子の栄華を極めた方です。
誰もが羨む地位と名誉、生活を手に入れたかに見えましたが、うつ病との壮絶な闘いを経験した苦労人でもあります。
今年、90歳で多臓器不全で亡くなったこともあり、再び小川さんに注目が集まっています。
「なぜうつ病になったのか」
「うつ病とどのように向き合ったのか」
「どんな治療・心構えで克服していったのか」
そのあたりが丁寧に書かれた一冊です。
部分的にはなりますが、ご紹介したいと思います。
本日もよろしくお願い致します。
「突然やってくるうつ病」
忘れもしない、他人には絶対わからない全身の倦怠感に私がおそわれたのは、平成三年(1991年)の冬であった。
うつ病になった人にしか分からない体のダルさ(倦怠感)があります。
体に鉛でも入ったんじゃないかと思うぐらい重く感じ、立ってることさえ困難な時もありました。
(「鉛様麻痺(鉛様疲労)=体が重い」は非定型うつだけじゃない!│定型うつの症状でもある)
立つと頭の先から重力で押しつぶされる感覚になり、膝がカクンとなって横たわってしまうのです。
健康な人には分からない感覚で、もう二度と味わいたくない症状でもあります。
家庭医学書を読み漁る日々
このころは病院に行くのも億劫になっていた。
数冊の家庭医学書を買い求め、部屋に閉じこもって読み漁る日々が続いた。
人に会いたくない、人に会うのが商売なのにできない。
われながら情けなくなってきた。
当時担当していたレギュラー番組の女性ディレクターが病がほとんど治ったとき、私にこう言った。
「小川さん、あのときはいえませんでしたが、はいていた靴の色が左右で違っていました」
もちろん私はまったく気がついていなかった。
僕(青年A)はうつ病+顎関節症で、新卒一年目の会社を退社した2015年は、家で顎関節症の本やネット記事ばかりを読み漁りました。
異常なほどです。
答えは出ません。
負のスパイラルです。
「かみ合わせの悪さは全身に不定愁訴を引き起こす」などという記事に惑わされ、怖くなってふさぎ込む生活に陥ったのです。
(噛み合わせの違和感をなくしたい!原因は「歯」ではないかもしれません)
そして東京で有名と言われる歯科医院に行き、たいした説明もなく診察代だけで3万円取られたりしました。
負のスパイラルとはこの事です。
うつ病になると思考能力が低下します。
頭がぼーっとして、健康な時は簡単に考えられたことが出来なくなってしまうのです。
(うつ病で「頭がぼーっとする」症状の対処法と付き合い方:その症状には終わりがある)
小川さんの言葉にもあるように、自分の服装にも気が回らなくなりました。
「CTやMRIでも原因は不明」
彼はレントゲンを舐めるようにして検査、さらにCT検査やMRIで診てくれたが、持病の糖尿病以外に特に異常は認められなかった。
こうして時の経過を待つことにした。
しかし、症状はまったく改善されなかった。
倦怠感、睡眠障害、焦燥感、食欲不振など。
まさか自分がうつ病だなんて。
ココロの症状よりもカラダの症状が先に出る人も多く、すぐにうつ病と気づかないケースがある。
僕もそうでした。
ココロの症状よりカラダの症状がひどく、うつ病ではなく、かみ合わせの悪さ、顎関節症が原因だと思い込んでいたのです。
(うつ病と顎関節症はなぜ間違いやすいのか~うつが「原因」で顎関節症は「結果」~)
うつが進行すると、放っておいては治りません。
きちんとした治療が必要です。
(うつ治療まとめ)
「自殺しようと線路脇へ」
自宅から30メートルほど歩いて左に曲がるとき、心の中で“サヨウナラ“と家族に別れを告げた。
これは誰か止めてくれないかという最後の未練ともいえるだろうか。
自然と近くの私鉄の線路の脇に呆然と立ったのである。
鉄道自殺を考えたのだ。
いつまでも立っていてはみっともない。
今度の電車に身をまかせようと、右足を一歩出して準備態勢に入った。
そのときである。
家族と親友の顔がオーバーラップして、映画のワンシーンのように眼前に浮かび、パッと消えた。
私は思わず足を引いた。
その瞬間、電車は目の前を轟音をたてて通り過ぎていったのである。
うつ病にかかると死にたくなることがあります。
これはうつの症状です。
大の大人が自ら命を絶ちたくなるほどの絶望を与え、肉体的・精神的苦しみを与える病気がうつ病です。
本当に恐ろしい病気です。
しかし、このサイトで何度もお伝えしております通り、絶対に死んではいけません。
(「うつの自殺は絶対あかん」~してはいけない4つの理由~)
治療が進めば、必ず快方に向かう病気だからです。
「ウチに戻るも、そのまま病院へ」
事の重大さを知った妻は、私の腕を抱えるようにして日本医大付属病院に連れて行ってくれた。
朝食も食べず電車での直行だった。
いまでも、このときの気丈な妻の機転に感謝している。
「ところで先生、まだ病名を聞いていません」
「失礼しました。うつ病です。正式には“初老期退行うつ病“といいまして、躁にはなりません」
「がんばって、という言葉は厳禁です」
とにかく、病名を聞いて安心したことは事実で、それまではわからなかったことからくる不安が多かった。
入院する前、先生は私たち夫婦にいろいろアドバイスをしてくださった。
「小川さん、この病気は必ず治ります。
それからこの病を克服してやろうという気持ちは絶対に持たないでください。
だから、この病に限って、“闘病“という言葉はあてはまりません。」
小川さんは入院するほど重症だったとは。医師から「必ず治ります」と言われることほど勇気がもらえる言葉はないでしょう。
うつ病と診断し、適切な治療に進めたことで、うつ病を克服していけたのです。
小川さん以外のうつ体験者のことも書かれている
この本のすごいところは、小川さんご本人だけでなく、小川さんの元に寄せられた手紙や電話、知人などのうつ体験も掲載されていることです。
色んな人のうつ体験を知ることで、「自分より苦しい人がいる」「こんな対応方法があったんだ」と、非常に為になります。
「投稿文に書いた私のメッセージ」
A子さんの三十代の息子さんは、転勤などがきっかけでうつになり、怠け者だと白い目で見る会社に辞表を提出、二月に入院することにしたという。
「自律神経系の乱れからくるこの病は、自分の意志でコントロールすることはできない。自然体でいてください」と、再度強調すると、A子さんは私の言葉を懸命にメモされる。
その姿を見て、子を思う母の姿に、私は胸を打たれた。
うつ病はストレスなどの影響で起こる現代病で、治療すれば完治する。
年間の自殺者数は全国で三万数千人に達するが、そのうちの八割がうつからだといわれている。
あくまで一例のご紹介ですが、こういった事例がふんだんに盛り込まれた濃い内容の本となっています。
うつ病を特別視せぬ社会に
倦怠感、不眠障害、焦燥感、食欲不振、自殺願望、人に会いたくないーーなど、これらの症状が二週間続いたら、うつに間違いない。
そのときは、神経科、精神科、心療内科に行って欲しい。
迷わず、恐れず、専門科の門をたたいていただきたい。
もし医師とソリが合わなければ、医者をかえればいい。
「医者選びも寿命のうち」
うつの症状は人それぞれ違います。
(【まとめ】ぼくの鬱病の症状~こんな症状に苦しんでいました~)
不眠になる人もいれば過眠になる人もいますし、食欲不振の人もいれば、過食になったしまう人もいます。
小川さんが本で書かれた症状は一般的なもので、これらの症状がないからうつ病じゃないというわけではありません。
専門医の診断を受ける必要があります。
そして、心療内科や精神科と聞くと、暗い顔をした人たちがいて怖そうという印象を持たれそうですが、いぜ門を叩くと、普通の内科と何ら変わりありません。
むしろ普通の内科より落ち着いていてキレイな医院が多いでしょう。
周りの患者さんも、一見すると病人に見えないのです。
なので、肩の力を抜いて診察を受けることをオススメします。
(うつ病の病院選びにお困りの方へ:うつ経験者が選び方を教えます!)
どんな病も早期発見&早期治療が大切なのですから。
おわりに
一部だけのご紹介となりましたが。小川さんはアナウンサー出身ということもあって、文章もすごく読みやすかったです。
スーッと内容が入ってきました。
割愛しましたが、奥さんの献身的な支えや奥さん自身がうつ病になってしまったストーリーも本書では語られています。
うつ当事者、家族にはぴったりの本かと思います。
本日もありがとうございました。